いつしかついて来た犬と浜辺にいる

気になる事件と考えごと

【つけびの村】周南市連続殺人放火事件について

2013年に山口県周南市にある山間の集落で発生した連続殺人・連続放火事件について、すでに犯人が逮捕され死刑が確定した事案だが、風化阻止の目的で概要や所感等を記す。

また本件を主題とした高橋ユキ氏によるルポ『つけびの村』のレビューも付記する。

 

■概要

2013年7月21日21時ごろ、山口県周南市金峰(みたけ)にある郷(ごう)集落の民家2軒から相次いで火災が発生。近隣住民の通報により消防が駆けつけたが、ともに全焼した。

木造2階建て(約205平米)の焼け跡から住人の無職貞森誠さん(71)と妻の喜代子さん(72)、木造平屋建て(約85平米)から住人で農業を営む山本ミヤ子さん(79)、の合わせて3人が遺体となって発見された。

2軒は60メートルほどの距離で、出火時刻がほぼ同じだったことなどから、周南警察署は放火の可能性を視野に入れて捜査を開始した。

 

翌22日、同集落に住む河村聡子さん(73)、石村文人さん(80)がそれぞれ自宅で遺体となって発見された。当時、聡子さんの夫・二次男(ふじお)さんは友人たちと県外へ旅行に出かけていた。

検死により5人の遺体からは頭部などに複数の殴打痕が認められたことから、山口県警は連続殺人・放火事件と断定して周南署に捜査本部を設置。

 

集落の住民は8世帯14人、そのうち5人の命が一夜にして奪われるという惨劇である。

河村さんは火災直後から22日1時ごろにかけて近くの住民宅へ避難しており、その際、警察も安否確認を行っていた。その後、自宅で殺害されたことから、犯人は3人を殺害・放火したあとも、およそ5時間にわたって付近に潜伏して様子を窺っていたものと考えられた。

県警は被害の拡大を防ぐため、付近の住民を公民館に避難させた。

司法解剖の結果、5人の死因は頭がい骨骨折や脳挫傷で、ほぼ即死状態だったことが確認された。

 

■消えたかつを

火災発生時、被害者らとの間にトラブルを抱えていたとみられる集落の男性の行方が分からなくなっていた。焼失した山本さん宅の隣家に住む保見光成(ほみ こうせい・63)である。

保見の家の周囲には、装飾を施したトルソー(胴体部分のみを象った服飾ディスプレイ用具)や独特のオブジェが置かれ、向かいの家に向けて偽装の監視カメラが設置されていた。玄関脇の窓には、五・七・五音で「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者 かつを」と筆書きされた紙が外向きに貼られ、人目を引いた。

 

22日午後、殺人と非現住建造物等放火の疑いで、保見を重要参考人として捜索を開始。車は2台とも置かれたままで、交通の便も限られることから、まだ山中などに潜伏している可能性があった。家宅捜索が行われると、地下のトレーニングルームでも奇妙な文言を書き連ねた紙が多数発見された。

「つけびして」の貼り紙が放火への関与を示すものではないかとする見方から、マスコミ各社は周辺住民への取材などにより、事件の背後に男と集落をめぐる軋轢などがあったことを伝え、大きな話題を呼んだ。捜索段階では「重要参考人」として男の名は伏せられていたため、インターネット上では「かつを」などとも呼ばれた。

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  市街地から16キロ離れ、バス停まで徒歩で1時間半、携帯電話も通じない、車なしでは生活に不自由するような“陸の孤島”。高齢者ばかりが暮らす“限界集落”で、被疑者は村八分に遭っていたのではないかというのである。

閉鎖的な共同体で孤立を深めて不満を爆発させた事件との憶測から、津山事件(*)をモチーフにしたミステリー小説になぞらえて“平成の八つ墓村”などと題するものもあった。

 

*津山事件

1938年、岡山県北東の山間部にある西加茂村(現在の津山市賀茂町行重)貝尾・坂元集落で起きた33人の被害者(うち30名が死亡)を出した大量殺傷事件。

犯人の都井睦雄は、幼年期に両親を肺結核で失い、姉とともに祖母に引き取られて貝尾で育てられた。親が残した資産などにより経済的な問題はなく、学業は優秀だったが、小学校卒業後に肋膜炎を患うなど病弱であった。祖母は進学を希望せず、医師からは農労を禁じられており、姉が嫁ぐと引きこもりがちとなる。

1937年に正式に家督を継いだが、同年の徴兵検査で肺結核から「丙種」合格とされた(身体上の欠陥が認められ兵役に不適とされた。心身共に健剛な「甲種」、それに続く「乙種」であれば兵役に就くことができ、「丙種」は工場労働などの民兵にしかなれなかった)。

集落には「夜這い」の風習が残っており、都井にも複数の相手があったが、肺結核の血筋と丙種合格を理由に関係を断られるようになった(BCGワクチンや治療薬の普及によって現在では結核は下火になったものの、1930年代には年間10万人以上の死者があり死因の1位であった。遺伝病、空気感染(飛沫感染)のため、当時は強い差別意識があった)。都井は元々から残忍・横暴な性格ではなかったが、女性たちの対応に憤慨したともいわれる。

不治の病とされていた肺結核、兵役に就けなかったこと、村民たちも彼を忌避するようになっていたことで、やり場のない葛藤を募らせ、女性や村人たちに対して偏執的な復讐心を抱くようになったのではないかとされている。犯行後、都井は山中に逃亡し、翌朝、猟銃で心臓を打ち抜いて自死した。

 津山事件の報道・研究などについて、下の小池新氏による記事が詳しい。

bunshun.jp

 

■噂の多い男

保見中(わたる)は1949年12月に郷集落で5人きょうだいの末っ子として生まれる(兄と3人の姉)。地元・鹿野中学校を卒業後、同級生らと岩国市内へ集団就職して3カ月ほど働いたのち、兄を頼って上京。関東各地を転々とし、左官業など建築関係の仕事をしながら94年までは神奈川県川崎市で暮らしていた。

給与の遅れや酒席での諍いからトラブルを起こすこともあったが、心根はよい一匹狼な職人として仕事ぶりは認められていた。バンダナにサングラスがトレードマークで、若い頃にボクシングで鍛えた180センチの体格やクセのある性格で周囲から誤解を招きやすいようなところはあったかもしれない。だが都会で職人として生活する分には、周囲からはそれなりに許容されていたようである。

 

94年に父親から連絡を受けて、44歳で帰郷を決意。母屋の隣の敷地を購入して通いながら新宅を建てた。兄は亡くなっており、姉たちも家を出ていた。帰郷当初は、地域の旅行や集まりに参加したが地元住民とはうまく馴染めず。

新宅にカラオケやバーカウンターを設置し、高齢者向けの社交場として“シルバーセンター保見”を開いたものの利用者はなく、内装リフォームや屋根の修理、障子の張替、買い出しなども行う“便利屋”を自営していたが業績は芳しくなく、主に貯蓄を切り崩して生活していたものとみられる。

両親は認知症のほか様々な持病を抱えていた。寝たきりだった母親が2002年末に亡くなり、03年には両親の介護のために地元へUターンした男性として新聞記事に掲載された。記事中には「自分の生まれたところで死にたいという思いは消えなかった」「親が子どもを育て年をとる。そんな親を看るのは子どもの義務」といった想いが述べられている。04年には父親も息を引き取った。

両親の死を境に一層孤立し、奇行や軋轢が目立つようになっていった。2009年、下の名を「光成」に改名している。

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マスコミ報道では保見の人物像や周囲であったとされるトラブルに関して、近くの住民や知人らの証言が数多く報じられた。

プライバシー保護により誰が何を証言したかは曖昧だが、事件直後に郷集落には警戒線が張られたため、近郊集落や買い出し先などで集められた証言が多い。

「たまたま居たから、暑いのう、こんにちは、と言ったら向こうも答えてくれた。変わったところは特になかった」

(事件当日の昼に保見と遭遇した住民)  

「飼い犬が寄ってきたのでよけたら、叩き殺す気か、と言われて怖かった」と生前に話していた。

(河村聡子さんの知人) (TBS)

「彼は集落に来た当時、“何か村おこしをしたい”と熱心に提案しとったんじゃが、“都会崩れが何言っとるんや”と多くの住民に反対されてしまってね。そこからちょっと疎まれるというか、“いじめ”みたいなことが起こり始めたんですわ…」(近所の住民)

「“都会から来たんじゃから、金も持っとろう。みんなのために草刈り機買って、草でも刈れ”言うてな。無理矢理やらせとった」「ある日、彼が草刈り機をあぜ道に置いて帰宅すると、ある集落の人間が、草と一緒にその草刈り機を燃やしてしまったんや」

保見がその住民に抗議すると「あれ?あんたのもんだったの?っていう感じで、いじめというか、いろんなことがあったみたい」(別の近所の住民)(女性セブン)

「レスラーのような風体で、大きな車に乗っているので、それを見よったら『じろじろ見て何か用か』と言ってくる。黙っていたら『川に落としてやるぞ』とすごむ。次に会ったときは『今度見たら血の海だ。地獄に落とすぞ』と怒鳴られた。背筋がゾッとしたよ。だけど、まさか本当に集落を血の海にされるとは……」(近所の住民)

「もう10年以上前から家の修理や草むしりなどでお世話になっている。6年前に入院したときもわざわざ私の犬を病室に連れ、見舞いに来てくれた。頼んだ仕事もまじめによくやってくれた。彼はマグロが好きで、1カ月前には屋根の修理の後に2人で回転ずしを食べに行きました。いつも『お母さん、長生きせなあかんよ』などと声をかけてくれる、すごく優しい人です」(屋根を修理してもらった78歳女性)(週刊朝日

「集落の人から刃物で切りつけられ、胸に大きな傷を負ったときも、私は『殺人未遂でしょうに。なんで警察に行かんの』と言ったくらい。集落でいじめられて、カレーを食べて苦しくて死にそうになったことも聞いています」

(保見には助けてもらっていたと語る老女・上の女性と同じか?)(デイリー新潮)

河村さん夫妻が田んぼに農薬をまいていた際に、保見が「殺す気か」と怒鳴り込んだ。

その後、河村さん宅で倉庫の薪が燃える不審火が発生し、河村さんは「普通火が出ないところだから、誰かが火を点けたと思うんじゃが」と話していた。

ボヤ騒ぎの後、保見宅に「つけびして」の貼り紙。

「大きな犬を飼うちょるでしょ、ときどき放しちょることがあったから、恐ろしいから再々注意をしたらしいのよ。そのようなトラブルが多々あったらしいのよ」

「草刈りでも、「若いけ、お前、草刈り機持ってこい」と。年寄りは小さい鎌でちょこちょこやったりする。「クソ~、なんでわしばっかし」という思いは頭にあったんでしょう」(近所の人・高齢男性)

「もう年をとっているから手すりをつけたりバリアフリーにしてやったらと、そういうことはよく言ってらっしゃいましたね」(保見のことを知る人・高齢男性)

「お父さんにすごい良くしていらっしゃったし、悪い感じしないから、今みんなが『怖い怖い』と言っているけど、全然怖くないし、何でって思う」(父親の元ヘルパー)(NNN)

10年ほど前、保見が被害者の一人から刺されて怪我を負う事件があった。

「お酒を飲むと気が大きくなったりして、日頃、あいつは~!と思ってたのでケンカすることってあるんですよ」

「そういう殺意はなくても、刃物を持ちだすとかね、やっちゃろうか!とかそういうのはもうしょっちゅうあったんです。珍しくもない話なんですよ。でも刺したっていう、行為までいくってことはまだなかった。それは、まぁ、ちょっと驚きましたけどね」

「玄関の前に立っていらっしゃる姿を見たとき、あら?と思ったんですよ。というのは、ちょっと雰囲気が今までの感じと違って、怖いな、っちゅう感じ」「次くらいに、マネキンにブラジャーだけして玄関に置いてあるんですよ。あら?これはどうしちゃったの?と思った」

(近所の人・上と同じ人物)

「 ちょっと酒を飲んだ席の話ですから、ちょっと(鋭利なものが)当たったくらいじゃないか。仲が悪いというのはどこでもある、合う合わないというのは誰でもある。些細なことでしょうね」(KRY・上と同じ人物) 

訪問介護の度に「いつもありがとうございます」と丁寧にあいさつした。「お父さんを付きっきりで介護するまじめな人だった」

(保見の父親の介護を手伝っていた元ホームヘルパー女性・上と同じ人物)(毎日新聞

 「今まで住んでいたアパートでけんかして、大家に追い出されて、今晩泊まるところがない、と言ってきた」(かつて部屋を貸していた大家)

「(父親の死後)自分で人をもてなすために家の中にカウンターバーを作って、皆さんを接待したいと」(近所の住民)(テレビ朝日

父親の死後、保見は「里親募集」の貼り紙を見てゴールデンレトリバー犬を引き取っている(「オリーブ」と名付けた)。その後も、お礼にドッグフードを送ってきたり、犬の写真などのやりとりがあったという。

「ちょっと大柄で、どっちかというと言葉少ない感じ。礼儀正しい方。すごく優しいっていうか。にっこりしてこの犬を見たときも、切ない顔で『僕が飼ってもいいですか』と言って連れて帰った」

「こんなこと言うと笑われるかもしれないけど、犬の写真を見たときに、親父だ!と思った、っておっしゃったんですよ。お父様に似てる、と。特に目が」(犬を引き取ってもらった人・飲食店経営女性)(TBS)

「中学卒業後、都会に行って何十年振りに地元に戻ってきたかと思えば、もう方言も忘れているし、田舎の人間とはものの考えがまるで違う人になっていました。ここの人とは溶け込めなかったんですよ」

「最初は地域のために働こうという意欲も持っていたんですね。彼は若者が次々と流出する現 状を嘆いて、町おこし活動を自ら企画したこともあるんです。周囲に熱心に自分の企画を語ったりね。でも、皆に受け入れられなかった。地域にずっと暮らしている人間から見れば、都会 帰りの若造が生意気なことを言っているようにしか聞こえなかったんですね」

「俺はクスリを飲んでいるのだから、10人や20人殺したって罪にならない」「ブラジャーをつけた変なマネキンを家の前に飾ったりして、どんどん周囲から浮いていったのもこの頃です」(幼少時代から保見を知る地元男性)(週刊ポスト

「自己紹介するとき、麻雀牌の“中”にひっかけて、どうもチュンです、なんて言ってた。見た目はいかついけど根はいいやつだった」(関東在住時の保見を知る男性)

「6,7年付き合ったけど、女遊びも、無駄遣いもしなかった。金はかなり貯めてたみたい。仕事の腕も良かった」(川崎時代に保見と仕事上のパートナーだった男性)

「妙なこだわりがある男でね。昼夜問わずサングラスを掛けっぱなしにしていた。もともとはっきりモノを言うタイプだったけれど、酒が入ると理屈っぽくなる。そのせいか、酒の席でケンカになることがよくあった」「車には相当金をかけていた。改造した四輪駆動車に乗っていて、ホコリひとつないぐらいに磨き上げていた」「親の介護のために帰郷するぐらいだから、悪いやつじゃない。こっちにいるときも、いじめられた仲間をかばったり、正義感のあるやつだった。ただ、思い通りにいかないとヘソを曲げることもあった」(元同僚)(夕刊フジ

「(住んでいる時)みんなおかしいと言っていた。うちの子どもは、いきなりほっぽり出された。小学校の時、投げ飛ばされた。いきなり怒り出したことがあった」(川崎時代を知る人)(FNN)

2011年の元日に周南署生活安全課に「集落で悪口を言われ孤立している」などと相談に訪れていた。1、2時間話すと「すっきりした」と言って帰ったという。(山口県警

河村二次男さんは数年前、保見と水田管理について口論になり、周囲に「怖い。殺されるかもしれない」と話して、稲作をやめた。(近くに住む女性)(日本経済新聞

「弟は死んでほしいです。5人も殺したんだから」

「集落へ戻ってから、だんだんおかしくなった。はっきりと様子がおかしいとわかったのは今年5月の終わり。黙り込んだり、ひとり言を言ったりし て……」

広島県に住む保見の2番目の姉)(週刊朝日

2003年の正月、家で酒宴をしていた貞森誠さんのもとへ保見が(前年亡くなった母親の)香典返しに訪れた際に、酒に酔った貞森さんが因縁をつけるようにして刃傷沙汰となる事件があった。後に貞森さんから保見に対して罰金15万円が支払うことを命じられた。

そのほかにも保見と親交のあった人物から「集落の人に退職金を配れと脅された」「(保見家の)墓石を倒された」といった話も聞かれた。

報道では総じて、保見には偏屈ではあるが「根はやさしい」側面と、集落住民に対して被害妄想じみた「不審な」側面があったことが伝えられた。識者らは、津山事件との類似性などを指摘し、20年ぶりに戻った故郷で村八分にされた果てに集団ストーカー的被害妄想に陥ったのではないか、といった推察をした。

インターネット上では保見に対して「かわいそう」といった同情的な意見や集落住民に対するバッシングに近い反応が寄せられた(**)。

また当時、保見には2頭の飼い犬がおり、そのうちの一頭・ゴールデンレトリバー犬のオリーブが大量のエサと共に室内に残されていたことも伝えられた。 通気のために隙間が開けられていたものの、番組視聴者などから犬の保護を求める声が数十件寄せられたという。25日、市の依頼により愛護団体に引き取られ新たな飼い主を探すこととなった。

 

**バッシングについて。インターネット言論として「田舎の閉鎖性」が取り沙汰されていたことも集落のいじめ騒動に影響していたように思う。2012年にも、無医村化していた秋田県上小阿仁村で赴任した医師が定着せず4人が立て続けに交代したことから“医師いじめの村”としてバッシングに曝されたことがあった。

田舎の人はよくいえば“親密”なつきあい、逆にいえば“同調圧力”が行き過ぎて“排他的”と捉えられることも多い。“自治会”に入れてもらえずゴミ出しさえできない、法外な額を要求される、不文律のご当地ルールが存在するといった地方移住トラブルもよく聞かれるようになった。

(尚、上小阿仁村については外部団体が現地調査を行い、村人の医師いじめについて完全否定はできないとしながらもいじめの証拠は見つけられないとし、村の執行部と医師との間で事前の合意形成・支援の失敗が早期退職につながったのではないかと報告している。)

郷集落は住民の少なさも災いして個人情報の特定へと至り、SNSなどでは遺族や集落住民に対して誹謗中傷さえ行われるなど二次被害を生んだ。

下は、獄中の保見と頻繁にやり取りを続けてきた匿名ライター・清泉亮氏による地方移住の難しさについてのレポート。清泉氏は保見が抱えていた苦悩に親身になって耳を傾け、記事ではやや同情的に記されている。『つけびの村』の高橋氏が取材困難とした保見とはまるで別人であるかのような錯覚に陥る。

www.dailyshincho.jp

 

 ■逮捕

県警は現場検証・付近の捜索を400名体制で行い、25日、付近の山中で携帯電話や衣類が発見された。

26日も増員して朝から捜索に当たり、9時頃、付近の山道で保見が発見された。下着姿に裸足のいでたちで凶器も何も持っておらず、捜査員が声を掛けると観念したようにその場にへたり込んだ。擦り傷などはあったが自力で歩行することはでき、抵抗することなく任意同行に応じた。発見場所は公民館から北へ約1キロ離れた地点。

事情聴取で保見は容疑についておおむね認め、殺人と非現住建造物等放火容疑で逮捕された。

 

また保見が身柄を拘束された26日9時5分の1分後、愛護団体が保護していた犬のオリーブが亡くなっていたことが確認された。前日まで元気な様子だったが、この日の朝から具合が悪くなり動物病院へ移送中だった。死因は心臓発作。この報道について、さも飼い主と愛犬との運命的なリンクであるかのような印象を受けるが、亡くなっていたことに気付いたのが9時6分であり、いつ息を引き取ったかまでは定かではない。

尚、保見が飼っていたもう一匹の白い雑種犬・ポパイは、逃走前に野に放たれていた。保見の逮捕後、山から下りてきたところを周南警察に保護され、市内の動物病院に引き取られて大切に育てられているという。

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参考画像

同日午後、保見と接見した山田貴之弁護士らは、犯行後に睡眠薬とロープを持参して「誰にも見つからない山の中で死のう」と自殺を図って彷徨っていたが断念したこと、被害者・遺族に対し「申し訳ない気持ちがある」と謝罪の念があることを伝えた。

その後、事件の動機について、被害者5人に恨みがあったとされ、「飼い犬の糞の処理について注意された」「犬を殺すために農薬をまかれた」「悪口を言われた」などと供述していることが報じられた。

 

7月31日、山田弁護士らは徳山保健センターで会見を開き、「保見さん自身の認識では、自分について悪いうわさが流されている、あるいは周りの人から監視されている、という意識を強く持っていました」「最初に貞森さんの家に行った、次に山本さん、次に石村さん、最後に河村さんの家だという風に言っております」と説明。しかし「事件の日のことはすっぽり抜け落ちてしまっていて、真っ暗なんだ」と事件当日の記憶が曖昧になっていることを明かした。

川で凶器も発見され、長さ約56センチ、重さ約600グラムの手製の木の棒で、5人に対して同じものを用いたとしている。

さらに玄関脇の貼り紙について解説がなされた。「火のないところに煙は立たない」の慣用句を逆にしたもので、「つけびして」は集落内で自分への悪いうわさを流すという意味、「田舎者」は集落の人を指したつもりだった、と説明。保見は「自分の中に抱え込んだ気持ちを知ってほしかった」などとしており、自分の噂をする人たちの反応を見るために貼ったものだという。

 

■裁判 

山口地検は2013年9月から刑事責任能力の有無を確認する精神鑑定を約3か月間にわたって行い、責任能力ありとして12月27日に5人の殺害と2件の非現住建造物等放火罪で起訴した。

しかし弁護側は起訴前に行われた精神鑑定の問題性を指摘。地検も「責任能力の有無と程度は争点。迅速で充実した審理のため」として、双方が再鑑定を請求した。鑑定留置は2015年2月末まで4か月あまりにも及んだ。

  

2015年6月25日、山口地裁(大寄淳裁判長)で裁判員裁判による初公判が開始された。

被告人は逮捕当初の供述から一転して、「足と腰は殴ったが頭を殴っていない。火もつけていない」と起訴内容を否認し、無罪を主張した。弁護側は、仮に犯人だったとしても(精神鑑定による)妄想性障害の影響から心神喪失心神耗弱状態だったとして責任能力の有無を争うことになった。

取り調べの段階で撮影の許可を得ており、逮捕当初の録画を確認しながらの尋問となった。録画では、取調官の前で身振り手振りを交えて殺害の様子を伝えていた。

検察は証拠品として、5人を殺害後に山中で録音し、埋めたとみられるICレコーダーを提出。音声データには、「かわいそうな人生。お母さん、お父さん、ごめん。これから死にます」と自殺を示唆する内容や、「周りの人間から意地悪ばっかりされた」「噂話ばっかし。田舎に娯楽はない」といった周囲に対する不満を嘆く内容が吹き込まれていた。また一緒に見つかった茶封筒の裏面には「犬を頼みます。人間をおそれます」などと書かれていた。

 放火について、東京理科大火災科学研究センター・須川修身教授は2軒ともに「自然発火をうかがわせる客観的状況はない」と述べた。検察側は調査結果について「コンロに火を点けて繊維状の物に燃え移らせた」など逮捕当初の被告人の供述と一致していることを指摘した。

 

精神鑑定について、起訴前の鑑定を担当した医師は「当時は精神障害は認められず、責任能力への影響はなかった」と説明。起訴後に鑑定した医師は妄想性障害と診断し、その理由として「自分の考えが正しいと決めつける被告のもともとの性格や10年前に両親を失い、集落で孤立していった周囲の環境が影響している。思い込みが孤立を深め、孤立が新たな思い込みを生んだ」と説明 。逮捕当初の犯行を認める供述から一転して無罪を主張するようになったことについて、嘘を言っているのではなく頭の中にある内容そのものが思い込みなどで変わってきているためだと指摘した。

鑑定結果の違いについて、起訴前に鑑定した医師は、「妄想性障害は人格を変える病気ではない。妄想に支配された訳ではなく、妄想が本来の性格に深く根差している」と述べ、鑑定時期のちがいで被告の陳述が「真犯人がいる」といったかたちに変わってきているため「妄想性障害という結論は妥当」だとしている。

 

第9回公判では被害者遺族7人が証言台に立ち、生前の思い出や現在の心情などを陳述、被告への死刑適用を求めた。河村さんの次女は「遺族は後悔や無念の気持ちで過ごしてきた。真実は一つしかないし、それは被告が一番わかっているはず。たとえ死刑でも許せないが、苦しみながら死んだ母や他の人のことを思うと、極刑以外はあり得ない」と述べた。

被害者への謝罪の意思を問われた保見は「足を叩いたくらいで」と聞き返し、「私の傷の方が深い。仕方ないと思っている」と述べた。山中で自殺を図ろうとしたことについて「いまも死にたいと思うか」との質問に対して、「思わない。刑務所にいた方がよほどいい。守ってもらっている感じがする」と話した。

検察側は、遺体の状況から「足を骨折するほどたたき、防御しようとする手や腕も骨折するほど叩き、木の棒を口の中に押し込んで強く圧迫した」と被告の強固な殺意と残虐性を指摘し、「なぶり殺しともいうべき凄惨な手口」と厳しく糾弾。「荒唐無稽な弁解に終始し、謝罪もしておらず、更生の余地はない」として死刑を求刑。

 

大寄裁判長は「犯行動機の形成過程には妄想が影響しているものの、保見被告自らの価値観などに基づいて犯行に及ぶことを選択して実行した」として、「妄想が犯行に及ぼした影響は大きなものではない」と被告の完全責任能力を認める判断を下し、求刑通り死刑判決を下した。弁護側は即日、広島高裁に控訴。対する検察側は「一審で必要なことは全て審理し尽くされている」として棄却を求めた。

2016年9月13日、2審広島高裁(多和田隆史裁判長)は、弁護側が証拠鑑定を請求した52点全てを却下し、即日結審。「犯行時の完全責任能力を認めた1審の判断に不合理な点はない」として控訴棄却。弁護側は判決を不服として、翌日、最高裁へ上告。

2019年7月11日、最高裁山口厚裁判長)では「組むべき事情を十分に考慮しても、被告人の刑事責任は重大」として第1審判決を是認。上告棄却となり、保見の死刑が確定した。

 

保見は裁判期間中、一貫して「自分が被害者である」という立場を唱え、被害者・遺族らへの謝罪の言葉や反省、悔悛の態度を示すことはなかった。審理された証拠品についても「俺のものではない」として、「捜査機関によるでっち上げ」「真犯人は別にいる」と無実を訴えた。

確定前の取材に対し、「ここ(広島拘置所)から出たらすぐ金峰に帰る。一人で陶芸を本格的にしたい」と語り、「無実だったら(慰謝料の)お金がもらえる」と笑みを浮かべていたとされる(山口新聞)。

 

保見の犯した罪は量刑として死刑判決に相応し、同情の余地もない。だがもはや自分のしたことを認識できなくなった人間が処刑されることにはたして意味があるのだろうか。

京都アニメーション事件の青葉真司被告の火傷治療ではないが、起訴前に妄想進行を防ぐ処置を施せなかったのか。やがて執行されたとて煮え切らない感情ばかりが後に残る事件である。

被害者のご冥福とご遺族のみなさまの心の安寧をお祈りいたします。

 

■『つけびの村』 について

 著者は、裁判傍聴ブログで人気を博し、ノンフィクションライターとなった高橋ユキ氏。編集者からある雑誌の記事のコピー(週刊新潮2016年10月20号、清泉亮氏による記事と思われる)を渡され、本事件に戦中まで集落にあった「夜這い」風習が関わっていたとする内容の検証を依頼されたが、確たる証拠にはたどり着けずお蔵入りとした。

だが現地で得たいぶかしい噂に吸い寄せられるようにして独自取材を続け、noteで有料公開していた記事が2019年になって脚光を浴び、晶文社から書籍化された。

つけびの村

つけびの村

 

依頼を受けた時点で、すでに事件から3年半が経過し、第一審で死刑判決も出ていた。獄中の保見は完全に妄想に支配されており、手紙でのやりとりから真実を導き出すことはもはや不可能に思われた。そのため事件ノンフィクションの定石である、検証に検証を重ねてひとつの筋書き(犯人像や真の動機)を導き出す手法を断念せざるをえなかったと著者は告白している。

そこで保見や集落にまつわる様々な「噂」を頼りに、いじめの噂の真相に接近を試みる。100ページも読み進めれば、この村を覆う得体の知れない気色悪さに苛まれる。事件ノンフィクションの愛読者であれば、肩透かしや居心地の悪さを感じるかもしれない。幽霊やおばけの怪談かと思っていたら、生身の人間の怖い話だったときのような(本格推理小説かと思ったら“イヤミス”だった、みたいな)。

事件直後の報道では氷の心に閉ざされていた住民らの“本音”や“秘密”が、高橋氏の人柄と熱意によって徐々に溶かされて本来の姿を見せていくかのような印象を受ける労作である。理詰めの緊迫感溢れた筆致ではなく、猜疑心や日常的思念さえも混在する、ある意味で平然とした人間味のあるルポルタージュ手法は、noteという媒体に相性が良く、従来の事件マニアとは異なる層にも響いたのであろう。

(かつて岩手17歳少女事件の再捜査を求めて、世論形成を企図してブログや動画を公開していたジャーナリスト・黒木昭雄氏のことを思い出した。少し時代が違えば、注目のきっかけさえ掴めれば、事件のその後の流れは違っていたかもしれない。)

 

個人的に興味を引かれた部分は、父・友一についてである。一部には、先祖代々から家があった訳ではなく山中から降りてきた、竹細工売りなどをしていた話は一部報道されていたが、本書に出てくる周辺住民の「噂」を加味すると、生活困窮民(漂流民というより難民)としてのサンカのような暮らしぶりが想起される。彼が眠る保見家の墓の見開き写真も強烈なものがあった。

また詳細は不明だが、1940年から45年にかけて郷集落付近で珪ニッケル鉱採掘が行われたとする文献もあるという。鉱夫を悪くいうつもりはないが、この時期、一攫千金を目論んで移住してきた人々もあったように想像され、周辺から“要注意集落”と目された背景のひとつのようにも思える。高橋氏はそうしたアプローチを言明しないが、どうしても被差別民の影が視界に入るのだ。

目から鱗に感じたのは、「ことの真相」よりも終章「判決」で精神科医が提示した推定である。私は、両親の死後にかねてからの集落内での不調和が妄想として悪化したものとする(本鑑定のような)見立てでいたため、なかなかに衝撃を受けた。さればこそ周囲の理解や助けもほとんどない中でシルバーセンター保見を強硬したことや転居という選択肢がなかったことなどにも合点がいく。老老介護の精神的負担や両親の分の年金が途絶えたことも妄想を加速させた要因であろう。

裁判に関する問題意識として「何をもって心神喪失心神耗弱とするかが明確には定められていないこと」や運用のまずさを指摘していることも個人的に同意見である。複数回の精神鑑定の間に食い違いが生じることや、加古川7人事件のように精神疾患は認められても心神耗弱状態とは見なされないケースは多く、高橋氏は刑法第39条そのものの見直しにも言及している。

 

「まるで金峰地区を乱舞する大量の羽虫のように、この事件の周りには、うわさ話が常にまとわりついている」(あとがき)と記す通り、本件はいじめに関するものもそうでないものも情報の伝播が「噂」という形式をとる。情報という実体を伴わないものの「虚ろさ」「映り方(見え方)」もさることながら、時間の経過によって口外される噂も変化する「うつろい」を感じさせる内容である。

本書はロジックではなく「噂」という言霊で組み立てられており、象徴的存在として「ヴァーチャル古老」まで登場する。しかも実在する様々な関係者の証言を追ったあとだというのに、ヴァーチャル古老が最も誠実な語り部だと感じてしまうことにまた驚かされる。私たちは事実や真相を知りたいと思いながらも、思考にバイアスがかかって意図せず手触りのいい情報を選り好んでしまうことがある。

上で見たように、付近の住民には「保見は集落でいじめに遭っていた」と証言する人もいれば、何をしでかすか分からない不審人物という印象をもつ人もいた。報道で見聞きした私たちも「いじめっ子への復讐劇」と見た人もいれば、単なる「狂乱者の大犯罪」とする人もいる。だが「噂」こそあれ、「証拠」はどこにも存在していないのである。